「母をたずねて三千里」がすごいです。

こんにちは、のんびりする時のおともPODCAST「ラモーナの部屋」のラモーナでございます。
私は最近、「母をたずねて三千里」の本格的な視聴2周目に入りました。やっぱりっ、本当にっ、すごいぃぃっ!!!と泣いています。本当に嗚咽が出るほどに泣いています。視聴後、「ああ何かしたい何かせねば!」と大興奮していて大変です。そして、この興奮を文字にしていたぞ!と今朝、思い出しました。2022年3月に「イチオシの○○」というテーマで書いた文で、私は「母をたずねて三千里」について書いていたのでした。それを引っ張って来ました。ぜひ読んでやってください。決して悲しいアニメじゃないのです。生きる希望と人とかかわりあうことの素晴らしさを描いたアニメなのであります。

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2022/03

はるかな北を目指せ

私は今年の1月に東北旅行を計画していました。楽しみにしていたのですが、今年に入った途端に新型コロナウィルスが猛威をふるい、県をまたいでの移動はご法度となりました。旅行計画は消えてしまい、それは本当に残念で、落ち込み、しばらく腐っていました。

そんな時に一つのアニメが私を救ってくれました。そのアニメは「母をたずねて三千里」、私のイチオシする「推し」アニメです。19世紀後半、イタリア・ジェノバに住むマルコ・ロッシ少年が、出稼ぎに行った母親を探してはるばるアルゼンチンまで渡って旅をする、というタイトル通りのシンプルなストーリーです。

イチオシの「推し」アニメとしていますが、これまで見たことがありませんでした。高畑勲監督作品ということで興味はあったものの、全52話という長さですし、1976年放送の古い作品ですし、なんだか気が滅入ってくるタイトルです。長い間見ずに来たのですが、ボタンを押し間違えて入会したアマゾンプライムで「母をたずねて三千里」が見れることが分かり、チャンス到来です。「ラッキー」くらいの軽い気持ちで視聴を開始したら、あれよあれよという間にはまっていきました。本当にとんでもない名作アニメです。書き切れるとは思いませんが、このアニメの魅力について書いてみようと思います。

魅力その1、生活の丁寧な描写があります。実は主人公のマルコはなかなかアルゼンチンに行かないのです。最初13話くらいまでずっとジェノバにいるのです。というのも主人公のマルコは10歳にもなっていない子どもなのです。そんな子がそうやすやすと一人でアルゼンチンに行けるわけがありません。家が貧しいので旅費もないし、周囲の大人も「子ども」という理由で反対します。こういう現実的な部分を蔑ろにしない点が、このアニメの説得力につながっていると思います。ということで、最初の方はずっとマルコのイタリア生活が描かれます。「メインの旅はお預けなんだな・・・・・・」始めはそんな風に思っていたのですが、このイタリア生活が思いの外、面白かったのです。マルコの使う家具や食器、マルコが動き回る街の景色が丁寧に描かれていて、見ているうちにいつしか自分もジェノバの街にいるかのような気持ちになっているのです。決して派手さはありません。あらゆる事柄が総じて地味です。例えば、マルコは旅費を稼ぐために密かにアルバイトをするのですが、そのアルバイトは「瓶洗い」なのです。渋いです。でも実際に10歳くらいの子どもが任せてもらえるのはそういう仕事だと思います。「瓶洗い」の仕事に就くまでの雇い主との交渉も描かれているのですが、これもまた大きな感情の起伏はない地味なもので、ただ最初から最後まできっちり描かれています。地味な仕事、地味なやり取り、地味な人物・・・・・・何もかもが地味なのに、とにかく面白いのです。絵の力によるところも大きいかもしれません。丁寧な描写となかなか進まないお話は、道草が多いようにも思えますが、退屈ではないのです。むしろこの道草こそが楽しい、暮らしというのはこういう毎日の積み重ねなんだなあとしみじみ思うことができるのです。

そういう丁寧な生活描写を楽しむのと同時進行で、主人公マルコがどういう人物なのか段々と理解が深まっていきます。最初はマルコがどういう子どもなのかよく分からないのです。マルコは小さいのに、可愛げがないのです。妙に生意気ですし。でも、何か憎めない。魅力その2は、この複雑な人物造形です。マルコはいわゆる「良い子」ではありません。けっこう扱いにくい子です。筋が通っていて礼儀正しいし、誰かがいじめられていたら助けに飛び込むような、気持ちの良い性質を持っていますが、良くしてもらっているのに不貞腐れるし、融通が効かないところがあるし、納得いくまで絶対に首を縦に振らない頑固者です。反抗的で、荒っぽいところもあって、鑑賞中に「それで良いのかマルコ」と何度も思いました。でもそういう気難しい部分が次第に尊敬する性質へと変わっていくのです。私の人の見方が変わっていったのです。そして、こんな人物なら確かにこの旅は可能だと説得されているのです。旅の最後にマルコは志の高い決意をするのですが、「マルコならできる!」と確信していました。自分の心境の変化に驚きました。これはぜひ味わってほしいです。

マルコ以外の人物たちも魅力的です。タイトルのおかげで母親(アンナ)ばかりが目立ちますが、マルコには父(ピエトロ)と兄(トニオ)もいます。トニオは朗らかで優しい、最高のアニキです。他方、父親のピエトロは一言では言い表せない人物です。ピエトロはジェノバの貧しい人たちを診る診療所を経営しています。医者じゃないのです、事務長なのです。直接に患者を治療するポジションでないというのが絶妙で、ピエトロという人物を知る助けになる気がします。ピエトロの診療所は経営難でいつも金がありません。だからマルコの母は出稼ぎに行く事になったのです。マルコは父親のやっていることは家族を犠牲にするものだと思い反発するのですが(私も最初はマルコと同意見でした)、ピエトロがやっていることがどれほど尊いことなのかを知る出来事に遭遇し、マルコは改心します(私もです)。物語の後半、アルゼンチン編でも、差別と貧しさ故に医者に看てもらえない病人が出てきます。この時再びピエトロのことを思い出し、彼のやろうとしていたことの偉大さを改めて思うのです。このアニメは何か起きても明確な答えは出されません。思考の余白を残してくれているのです。出てくる人物を通り一遍な描き方をしていないからこそ生まれる余白だと思います。面倒臭いけれど魅力的な人たちがたくさん出てくるのです。

魅力その3は、極上の旅ができることです。まずは船旅です。マルコはイタリアから高速船でブラジルに渡り、ブラジルから移民船に乗ってアルゼンチンに行きます。アルゼンチンに着いてからもヨットに乗ります。3種類の船に乗るのですが、同じ船旅でも旅の景色はまるで違っていました。高速船は頑丈な船で、しっかりした船員と裕福そうな身なりをした客が乗っていました。移民船は使い古されたくたびれた船で、乗っているのは疲れた船員と余裕のない顔をした客たち、客というよりは「積み荷」のように描かれていた気がします。ヨットは小回りのききそうな可愛い船で、陽気な船員が二人いました。宵越しの金は持たなさそうな人たちでした。それぞれの船旅でマルコはいつも真面目に働きながら、色々な人と関わり合って、たくさんのことを吸収します。

もちろん陸路もすごいのです。アルゼンチンに着いてからも母親の行方はわからず、アルゼンチンを南北に行ったり来たりすることになるのですが、その道中の移動手段とそれにまつわるエピソードがとにかく魅力にあふれています。馬車(一生モノの出会いである旅芸人の一家と共に)、汽車(汽車賃を稼ぐのに苦労しました)、ロバ(ロバという生き物に心を掴まれます)、徒歩(さすがイタリアの靴は頑丈でした)。どの方法も辛さやしんどさを伴うのですが、だからこそ、人や生き物の優しさが心に沁みますし、目的を果たした時の喜びもひとしおです。
バラエティに飛んだ旅の中でも「牛車の旅」(46話)は圧巻でした。無銭乗車をしてしまったマルコは機関士に見つかって、何もない野原に汽車から放り出されてしまうのです。途方に暮れていると、牛に二輪車を引かせて荷物を運ぶことを生業にしている一団に出会います。牛車です。マルコは彼らに頼んで目的地の途中まで牛車に乗せてもらうことになるのですが、この牛車がとてつもなく「カッコイイ」のです。牛の重量感や車輪の音や水しぶき、これらを操る人たちの労働がこれでもかというくらい臨場感を持って描かれているのです。こんな仕事があるのか、こんなに大変なのか! 食い入るように見つめていました。丹念に描かれているのは牛車の様子だけではないのです。牛車を扱う労働者たちの内面的な描写も見事です。厳しい掟や過酷な労働、労働の中で溜まっていく鬱憤、それを晴らす方法とその残酷さ。反対に、一団のゆるやかな絆や、時折見せる優しさや笑顔、不思議とエロスも感じました。見終わった後「何というものを見たのだ」と、しばらく呆然としました。46話といえば物語も終盤です。にもかかわらず、このド迫力。化け物のような体力をもったアニメです。絶対に見てほしい回です。本当に圧倒されました。

マルコの旅は最後の最後まで手に汗握るものでした。仰々しく感動的には描かれません。淡々としているくらいです。そのおかげでマルコの一つ一つの体験が見ている人間の中に静かに静かに積み重なっていきます。そしてすべての旅を終えた後、大きな生きる喜びに包まれているのです。旅行に行けず腐っていた私も復活しました。ケーナを始めてみようかなと思うくらいに復活しました。

「母をたずねて三千里」、私のイチオシの「推し」アニメ作品です。
たくさんの人に見て欲しいです。

終わり

『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』を見てきました

こんにちは、ラモーナです。
ポッドキャスト「ラモーナの部屋」第121回は『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』を見てきた感想について話しています。>>Spotify
私がこの映画を見に行くきっかけになった、クエストラブのインタビュー動画はこちらです。4分20秒の語りで人を映画に行かせるのですから、すごいですよねえ。

ニーナ・シモンは、「リトル・ガール・ブルー」が好きです。

ラジオの感想、ぜひお聞かせくださいね。
お便りもお待ちしております。>>おたより

HPをつくりました

こんにちは、ラモーナです。
「ラモーナの部屋」というPodcastをやっています。そろそろ4年目になるのもあって、よしHPを作ろうと思い立ちこのたび立ち上げました。どうぞよろしくお願いいたします。このサイトでは、ラジオを更新した後で「あっ」と思い出したことや、付け加えておいたほうが良いなと思うようなことを書いていこうかなって思っています。それが今のところの計画です。

今回のアイキャッチ(写真)は土偶のミニチュアセットです。第115回録音でお話した「ハニワット」に魅せられて後日購入したものです。もともとガチャで売られていたものらしいのですが、5種セットで売られていたのを見て、おお!って思い、注文しました。造形がすっきりしていて美しく、そして本当に可愛いです。1万年前に作った人も、まさか1万年後の人間が「かわいい」と思ってるなんて思いもしなかったんじゃないかと思います。手先が器用でナイスセンスの持ち主だった人が、誰かに「作って」と言われたから作ったんじゃないかなって思います。後世の人に褒められるものをなんて事を思っていたら作れなかったんじゃないかと思うし、そもそも1万年後の人間になんと思われようと知ったこっちゃないですよね、きっと。自分と、自分に頼んできた人や自分の好きな人達がいいと思うものを作るのが良いんだろうなー・・・・・・なーんて事を思いながらこの土偶を見つめていました。
それでは、今回はこのへんで。
また来ますね!